室塚一也、35歳。
1964年11月20日、道南の上ノ国町に生まれました。
1986年交通事故により脊髄損傷となり、函館での初期治療を終えた後、美唄の北海道立身体障害者リハビリテーションセンターに入所、以後美唄に在住しています。
車イスマラソンは1994年より本格的に始めました。



初のフルマラソンは1990年8月、札幌市で行われたはまなす全国車イスマラソン大会です。
7位という成績で、記録は2時間16分30秒でした。



室塚選手が国内大会で頂点を極めたのは、1994年10月、大分国際車いすマラソン大会です。
記録1時間39分09秒で、国内1位の成績となり、総合でも日本人初の3位入賞を果たしました。



室塚選手の活躍は国内にとどまらず、海外にも広がります。
95年8月ハワイで行われた‘95ヒロ・ボルケーノ国際車いすマラソンでは記録1時間38分49秒で、海外レースでの初優勝を遂げています。



室塚選手の自己ベストは、95年10月に大分国際車いすマラソン大会で記録した1時間30分54秒です。
平均時速はおよそ28キロ、トップスピードに達した時は時速50キロを越えるスピードで42.195kmを駆け抜けるのです。



車いすマラソンの日本のトップランナーの1人となった室塚選手は、1996年8月、アトランタパラリンピックに出場しました。
自分では10位以内に入れば上出来と思っていたそうですが、見事銀メダルを獲得しています。



帰国してすぐに、美唄市で行われたピパオイヘルシーロードレースの模様です。
凱旋レースとなったこの大会、アトランタの疲れも見せずに見事優勝を果たしています。
ユニフォームはパラリンピックで使用したものです。



続いて、同年12月にはハワイで行われたホノルルマラソンにも出場し優勝しています。
写真はゴール直後の様子を写したものです。



アトランタ以降も室塚選手のトップアスリートとしての地位はゆるぎません。
1997年6月、はまなす全国車いすマラソン大会では記録1時間34分52秒で優勝し、



昨年の大分国際車いす大会でも国内1位の座を守り抜き、シドニーパラリンピック代表の座を獲得したのです。



シドニーオリンピックが閉会しました。
いよいよ同じ会場を舞台に10月18日からパラリンピックが開幕します。
今回のパラリンピックでも、きっと多くの感動的なスポーツシーンを目の当たりにすることができることでしょう。
みんなで応援しましょう。
室塚一也さんの出場する車いすマラソンは、パラリンピックの最終日の10月29日、現  地時間の午前9時にスタートします。
コースは高橋尚子さんが金メダルを取った、あのコースです。
車いすマラソンにとっても、起伏の激しい難コースで、激しいレース展開が予想されます。
結果は当日このホームページでご紹介いたします。



美唄出身で様々な分野で活躍されている方々より室塚選手への応援メッセージをいただきました。
ここでご紹介させていただきます。

室塚一也君
二年前に体を悪くして出場を断念して、入院なさって、病院でお会いしたとき「応援してくださった回りの人たちに申しわけない」という気持ちだったと、私は自分のこと以上に心が痛みましたが、元気になられ熊本大会を始めとしての競技で、私たちに大きな感動を与えてくださいました。
そのことは、私たちに、社会・仕事・人生に対してまだまだ頑張らなければならないということを教えてくださいました。
先日お会いして申し上げたように、今回のパラリンピックでは、記録も大切でしょうが、ご自身のために楽しんで競技に出場してください。
私は、応援にいけませんが、日本でご健闘をお祈りしています。
花柳 鳴介



何か目的を持つ事が、どれだけのエネルギーの源泉になるか計り知れないものがあると信じて、音楽を奏でて来ました。
どんなジャンルであれ、どんなフィールドのちがいであれ、目的を持つ事を忘れずに向かって行きたいと、また、結果よりも向かう精神を大切に
Love
ジャズベーシスト 中山 英二



室塚一也さん
シドニーパラリンピック車椅子マラソン日本代表出場おめでとうございます。
私も美唄生まれの一人として誇りに思っています。
21歳という若さで思わぬ不運にもめげず努力の積み重ねに感動しました。
第14回大分国際車椅子マラソン大会での日本人初の総合3位以来、さまざまなタイトルを獲得され、その功績がみとめられての世界の頂点をめざしての挑戦。
がんばって戴きたいと思います。
私も室塚さんに負けない様、美唄出身の歌手としてこれからもがんばります。
出席できないのがとても残念ですが心よりご声援致しております。
追伸 くれぐれもお身体にはお気を付けて
牧村 三枝子



宝塚一也選手、シドニー・パラリンピック出場おめでとうございます。
いよいよ出陣ですね。
美唄の農道で日々練習を重ねていることを知り、何とも言いようのない、うれしい感じがして、仕方ありません。
世界のトップランナーが、黙々と風を切り、走り続ける姿と、美唄の水田風景とのあまりにも違うそのアンバランスさが、とても美しく、逆に感動さえおぼえます。
野外スポーツをする者にとって、冬という厳しい大変なハンデのある条件の、この北海道の中から、世界のトップランナーが生まれたということは、過去、北海道の野外スポーツにとっても、あまり例のないことだと思います。
スピードを競う競技で、雪のために半年しか走ることができないという、この厳しい条件の中から生まれたアトランタオリンピックの銀メダルは、皆さんが思っている以上に驚異的な出来事だと思います。
宝塚一也が天才ランナーと呼ばれるゆえんでもあるのでしょう。
アトランタオリンピックから四年後、またも日本代表として選ばれた貴男の努力は、人知れず、想像を絶することと思います。
今の貴男の実力は本物です。
世界中のランナーがこの四年間、宝塚一也を目標にしてきたのですから。
さあ、いよいよシドニーです。シドニーの美しい街並みをバックに、無心に、颯爽と走る宝塚一也の勇姿は、私達のまちの誇りです。
健闘、心よりお祈りしております。
彫刻家 安田 侃



シドニーパラリンピックご出場おめでとうございます。
頑張って下さい。
作家 後藤 竜二



室塚さんシドニーパラリンピック出場おめでとうございます。
シドニーでは自分の持てる力をすべて出し切り、最高の走りをしてきてください。
そして、世界最高の舞台を十分に楽しんできてください。
カナダから健闘を祈ってます。
永瀬 充



最後になりましたが、室塚選手がシドニーで自分の持てる力を精一杯発揮できることを祈念してスライド上映を終了したいと思います。